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東京地方裁判所 昭和48年(行ウ)40号 判決

原告 吉田正信

被告 東京都中野区

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し一五、〇〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月二〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二原告の請求原因

一  原告は、昭和四七年九月二五日、原告所有の東京都中野区東中野一丁目一二一番一三ほか二筆の宅地(以下「本件土地」という。)に、いわゆる分譲マンシヨンとして鉄筋コンクリート造地下一階地上六階の建物(後に設計変更がなされたものを含みこの建築予定の建物を以下「本件建物」という。)を建築すべく、被告の建築主事三好泰照に対し建築基準法(以下「法」という。)六条に基づく建築確認の申請をした。

なお、右確認申請は、訴外内山啓次の名義でしたものであるが、これは原告が本件建物の設計監理の一切を建築士である同人に依頼し、建築主の名義も形式上は同人としたことによるものであり、実質上の建築主及び確認申請者は後記変更届がなされたとおり原告であつた(したがつて、以下においては、建築主及び確認申請者は右変更届の前後を問わず特に原告と内山啓次の区別をせず原告であつたものとする。)。

二  ところが被告の建築主事は、本件土地の近隣住民が日照阻害を理由に本件建物の建築に反対しているとして、原告に対し、本件建物の建築計画について近隣住民らと話合つてその了解を得るよう求め、原告の確認申請に対しては確認をすることを留保して放置した。

三  そこで原告は、昭和四八年一月二二日までの間合計六回にわたり近隣住民と話合い、その要望を容れて本件建物を一部三階にするなど大幅に設計変更し、同年一月二四日ころ被告の建築主事に対して右設計変更を内容とする変更届を提出し、また同年二月一三日には確認申請者及び建築主の名義を内山啓次から原告に変更する旨の届を提出した。

四  原告の確認申請にかかる設計変更後の本件建物の建築計画は、敷地、構造及び建築設備に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定に完全に適合しており、しかも昭和四八年二月五日ころには法九三条一項の管轄消防署長の同意を得たのであるから、このころ以降原告の確認申請に対して被告の建築主事が確認をなすことについてなんらの法的障害はなかつたにもかかわらず、建築主事は、原告の口頭または文書による度重なる要請あるいは確認申請を放置することが違法であることの確認を求める行政訴訟(訴変更前の本訴)の提起をいずれも無視して、なおも違法に原告の確認申請に対して確認をすることなくこれを放置した。

五  しかるところ、本件土地は、昭和四八年四月一九日付東京都告示により、その一部が第一種高度地区に、他の部分が第二種高度地区に指定され、その結果原告の確認申請にかかる本件建物は法規に適合しないことになり、これを建築することはもはや不能となつた。

六  本件建物の建築が不能となつたのは、帰するところ被告の建築主事三好泰照が原告の確認申請に対して職務上確認すべき義務があるにもかかわらず、本件土地が高度地区に指定されることを見越して前記のとおり原告の確認申請を違法に放置して故意に確認をしなかつたことに起因するところ、、同建築主事は被告の公権力を行使する公務員であるから、被告は国家賠償法一条により三好建築主事の右の違法な不作為により被つた原告の後記損害を賠償すべき義務がある。

七  原告は本件建物の建築が不能となつたことにより左の損害を被つた。

1  逸失利益一三、〇〇〇、〇〇〇円

高度地区の指定により、本件建物の建築が不能となつたため、原告は、やむなく本件土地に建築可能な小規模な一部五階建建物(総床面積四三七・四〇平方メートル、分譲価格の基礎となる専用床面積三七一・四六平方メートル)一棟と木造二階建建物四棟を建築して、これを分譲することに建築計画を変更し、その設計及び建築工事請負契約を締結した。しかるところ、本件建物(ただし前記設計変更の後のもの。総床面積一一七六・四八平方メートル、専用床面積一一一七・四七平方メートル)の分譲により原告が得られる純利益は別紙一のとおり一二六、三一二、六〇〇円であり、建築計画の右変更後の建物を分譲することによつて得られる純利益は別紙二のとおり六〇、七三五、四〇〇円であるから、その差額六五、七七二、二〇〇円は、本件建物の建築が不能となつたことにより原告が被つた損害である。原告は、右金額のうち一三、〇〇〇、〇〇〇円の賠償を求める。

2  設計料三、五〇〇、〇〇〇円

原告が本件建物の設計を依頼した内山啓次に対し支払うべき設計料のうち、同人に支払を約した分である三、五〇〇、〇〇〇円について、原告は賠償を求める。

3  金利相当損害金二、一七〇、〇〇〇円

原告は、本件土地の取得費用及び本件建物の建築費用として、一五〇、〇〇〇、〇〇〇円を年利八・五パーセントで銀行から借入れていたものであるところ、

(一) 本件土地の取得費(土地代金のほか仲介手数料を含む。)八七、七六〇、六〇〇円に対する確認をなすについての法的障害がなくなつた昭和四八年二月五日から同年四月一五日までの七〇日間の金利相当額は、原告が三好建築主事の違法な不作為により本件土地を有効に使用しえなかつた期間の本件土地の使用料相当の損害額というべき金額であつて、右金利相当額のうち一、四三〇、〇〇〇円と、

(二) 原告の前記借入金一五〇、〇〇〇、〇〇〇円から、右(一)の本件土地の取得費を除いた金額のうち六〇、〇〇〇、〇〇〇円に対する右(一)の七〇日間の借入金金利年八・五パーセントと普通預金金利年二パーセントの金利差年六・五パーセントの割合による金員も原告の被つた損害であり、そのうちの七四〇、〇〇〇円

の合計額二、一七〇、〇〇〇円について、原告は賠償を求める。

4  弁護士費用二、〇〇〇、〇〇〇円

原告は、弁護士である原告訴訟代理人らに依頼し、本件を提起しての遂行にあたらせた。これに要した弁護士費用二、〇〇〇、〇〇〇円も、原告の被つた損害である。

八  よつて原告は被告に対し、前記損害金二〇、六七〇、〇〇〇円のうち一五、〇〇〇、〇〇〇円とこれに対する不法行為の後である昭和四八年四月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する認否及び被告の主張

一  認否

1  請求原因一ないし三の事実はいずれも認める。

2  同四のうち三好建築主事が原告の確認申請を放置したのが違法であるとの原告の主張は争う。

3  同五の事実は認める。

4  同六の原告の主張は争う。

5  同七の事実はいずれも知らない。主張の趣旨は争う。

二  被告の主張

1  原告の確認申請に対する審査及び行政指導の経緯について

被告は、昭和四七年五月ころから建築紛争調整制度を設け、四階建以上の中高層建築物の建築確認申請があつた場合、確認処分を行なう前に、申請者に対し、当該建築計画を事前に公開し、日影図を作成して日照阻害を受ける近隣住民の同意を得るよう行政指導を行なつており、また、同年一二月一五日には従来の行政指導方針を要綱化した中野区中高層建築物に関する指導要綱(以下「指導要綱」という。)を制定しこれを実施していたものである。ところで、原告の確認申請にかかる本件建物の建築計画は、鉄筋コンクリート造地上六階地下一階の共同住宅、いわゆるマンシヨンの新築であり、また本件土地は、騒音、悪臭等の発生源となつていた公害指定工場の移転跡地であつたこともあつて、本件建物の建築により日照阻害を受ける近隣住民から、被告に対し本件土地を公共用地として買収してほしい旨の陳情が従前からなされていた。

さらに、本件建物の建築についてはすでに昭和四七年九月七日に原告と近隣住民との話合い(第一回会合)がなされ、これが継続中であつた。そこで、被告は、原告の確認申請に対する審査と並行して、以下(一)ないし(六)の経緯のとおり原告に対し近隣住民と話合うよう行政指導を行なつた(本件では当初の確認申請における申請者及び建築主は内山啓次であるが、原告主張のように本件建物の実質上の建築主したがつて確認申請者は、これらを原告に変更する届が提出された前後を問わず原告であつたものであるから、本件においては右変更届の提出の前後を区別せず、確認申請者等は原告として表示することとする。)。

なお、原告の確認申請にかかる書類には、各種の記載もれ、あるいは境界線の不明確等の不備があつたので、被告の建築主事は、数回にわたり原告に対しその訂正を指示するとともに、昭和四七年一〇月七日と同年一二月二一日には法六条四項に基づき、同条三項所定の期間内に確認できない旨の通知を行なつた。

(一) 被告の建築主事は、昭和四七年九月二五日原告の確認申請を受理する際、原告に対し本件建物の建築計画を公開し、本件土地の近隣住民と話合いを行なうよう指示し、また同月二八日に住民から本件建物建築に反対する陳情を受けたので、同年一〇月二日には原告に対し右陳情がなされている事情を伝え、本件建物の規模、態様、建築工事の概要及び日照阻害の程度等を住民に周知させ、その合意を得ることを指示した。

(二) そこで原告と住民との話合いが同年一〇月一九日に行なわれ(第二回会合)、原告は、当初の計画による本件建物の建築について住民の同意を求めたが、このときは日影図が作成されていなかつたため、日照阻害の程度が明確でないということから、後日原告において日影図を作成したうえで話合うことになつた。

なお、被告は、同年一一月二〇日、二二日、二七日にそれぞれ原告に対し紛争解決のための話合いを促し、行政指導を行なつた。

(三) 原告は、その後日影図を作成して住民側に事前に提出し、同年一一月二八日ころに双方の話合い(第三回会合)が行なわれた。その際原告は、本件建物の有効住宅面積を約三五〇坪に縮小する案を提案し住民の同意を求めたが、これに対し住民側の工藤泰治区議会議員から右面積を約二六〇坪にする提案がなされ、二つの案につき双方とも検討することになつた。

そして以上に基づき同年一二月三日にさらに双方の話合い(第四回会合)が行なわれ、右の各案を図面化したものについて双方の検討がなされたが、結局合意は成立せず、原告は自己の縮小案をさらに一部縮小した案を住民に対し提示した。

(四) 被告は、以上の原告と住民の話合いの経緯にかんがみ、同年一二月一二日、本件土地上の建築物については被告の指導に従い住民との間に紛争を生じないよう努めるとともに、紛争が生じたときは誠意をもつてその解決にあたるということを内容とする誓約書を原告から提出させた。また同月一五日は指導要綱が実施されたので、被告は、以後は同要綱の趣旨に基づいて行政指導を行なうこととし、これについての原告の同意を得て、住民との間に同要綱に基づく了解を得るよう原告に対し促した。

(五) そこで被告の斡旋により同年一二月二六日に中野区役所内において原告と住民の話合い(第五回会合)が行なわれたが、このときすでに作成されてあつた日影図が一部不正確であることが判明し、原告において現地測量をしてこれを訂正したうえで話合いを続行することとなつた(なお、原告はその後昭和四八年一月二〇日ころ原告が提案した前記の縮小案に基づき、当初の建築計画を約七〇〇坪縮少した地下なし地上一部六階建とする本件建物の設計変更届を被告の建築主事に提出した。)。

(六) 原告は、その後現地測量をして日影立面図を作成し、これを住民側に届けたので、昭和四八年一月二二日中野区役所内において双方の話合い(第六回会合)が行なわれた。しかし、この会合においても原告が作成した右日影立面図に一部不備があつたため、実質的な内容についての話合いは行なわれず、必要な限度で再度現地測量をして、これに基づき原告においてさらに日影図を作り直すこととし、さらに話合いを続けることで双方の合意に達した。

そして右合意に基づき同月二八日ころ現地測量が行なわれたが、その後本件土地が高度地区に指定された同年四月一九日までの間は、結局原告と住民の話合いは行なわれなかつた。

2  建築主事が確認を留保したことの正当性について

原告は、原告の確認申請に対して被告の建築主事が法六条に基づく確認をしなかつたのは違法であると主張する。

しかし、原告の申請に対し被告の建築主事が確認を留保したことは、以下のとおり違法ではない。

(一) 建築計画の不確定

法六条に規定する確認は、申請にかかる建築物の建築計画が敷地、構造及び建築設備に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例の各規定(以下「関係法令」という。)に適合しているか否かを審査し、適合していると判断した場合になされる行政処分である。そして、法六条に規定する確認も公定性、不可争性等行政処分の特質を有するものであることから、確認の対象である建築計画は確定しているものであることを必要とするところ、原告の申請にかかる本件建物の建築計画は、昭和四八年四月一九日付東京都告示第四九九号によつて本件土地が高度地区に指定されるまで確定するに至らなかつたものである。

すなわち、確認申請がなされた後、その申請にかかる建築計画につき建築主と近隣住民とが協議し、その計画が変更される可能性を有するというような事態は、そもそも法の予想するところではなく、法は、申請にかかる建築計画が固定されていることを前提とし、その固定された建築計画について建築主事が審査するという建前をとつていると解される。したがつて、建築計画が第三者の介入によつて変更可能性を有する流動的なものである場合についてまで法が配慮していると考えることはできないのであつて、そうであるならばこのような場合、法六条三項の審査期間の制限の適用はなく、話合いの余地があるという判断の下に行政指導が続けられている間、建築主事が確認をしないことはなんら違法ではないというべきである。

そして本件における原告と近隣住民との話合いの経緯は前記1のとおりであるところ、双方の話合いは昭和四八年一月二二日に行なわれた第六回会合が最後となつたのであるが、しかし、その際も原告と住民の間で正確な日影図をもとにして本件建物の規模、構造についてさらに話合いを続行することの合意がなされており、また、昭和四七年九月二五日に確認申請が受理されて以来、原告は、口頭及び文書により確認の催告を行ないながらも、住民との話合いを続け、右話合いの過程で建築規模縮小案を提示して住民の同意を求めていたこと、あるいは、本件申請に対する法九三条の規定に基づく消防署長の同意があつた昭和四七年一一月一七日以後においても現に建築規模縮小による設計変更を行なつたことなどの経緯からして、最後の話合いとなつた昭和四八年一月二二日以降も住民との話合いによつて更に建築規模を縮小することに伴う設計変更の可能性があつた。

したがつて、本件建物の建築計画は設計変更届がなされ、これに対する消防署長の同意が得られた後もなお流動的状態にあり確定するに至らなかつたものであるから、行政処分の前提となる要件を欠いていたものといわざるをえず、建築主事が確認を留保したことは違法となるものではない。

(二) 行政指導に伴う確認留保

仮に原告の確認申請にかかる本件建物の建築計画が確定していたと解することができるとしても、被告の行政指導が行なわれている間は建築主事が確認を留保することは違法ではない。

すなわち、法六条二項は、建築主事が確認申請を受理したときは、七日または二一日以内に申請にかかる建築物の計画が関係法令の規定に適合しているかどうかを審査し、適合していることを確認したときは文書をもつて申請者に通知すべき旨を規定している。

しかし、地方公共団体は、住環境を阻害するおそれのある建築計画に基づく確認申請がなされた場合、それが現行法上適法である限りこれに対しなんら容喙することができないとすれば、地方公共団体の基本的責務である住環境の保全は不可能となるのであつて、法の規定する技術的基準である関係法令の規定以外の日照、電波障害その他の事項について、当該地方公共団体の実状に応じた行政指導を行なう必要があり、そして、行政指導を行なうこと自体及び右行政指導が行なわれている間、建築主事が確認を留保することについては、法もこれを容認しているものと解すべきである。

ところで、最近各地で中高層建築物による近隣住民の環境権侵害に関する紛争が頻発し、地方公共団体にはこれら紛争についての調整機能が強く求められていることから、被告においても、前記のように昭和四七年五月ころから建築紛争調整制度を設け、建築主と住民の合意に基づく解決を図る外に建築主に対する行政指導により建物の規模を縮小させるなどによつて、建築紛争を解決するとともに住環境の保全に努め、その実績をあげてきたものである。そこで本件建物の建築計画についても、被告は、前記1の経緯により、原告の確認申請に対する審査と並行して原告に対しその同意に基づき行政指導を行ない、住民との話合いを行なわせたのである。そして、原告と住民との話合いの経緯によれば、原告が昭和四八年一月二〇日ころ本件建物の建築規模を縮小する設計変更をしたことによつて、住民との紛争は解決に近づきつつあつたのであるけれども、同月二二日の第六回会合においてもなおも双方は最終的な合意に達せず、さらに話合いが続行されることになつたのであるから、被告としては、その後も原告あるいは住民からの話合いについての斡旋の申入れ、あるいは双方の任意の紛争解決を待つていたものであり、右同日以降もさらに行政指導を続け、原告と住民との紛争解決と住環境の保全を図ることとしていたのである。

したがつて、原告の確認申請にかかる本件建物の建築計画につき、消防署長の同意が得られ、関係法令の規定に一応は適合する状態になつた昭和四八年二月五日以降も、被告の建築主事が確認を留保したことは、なんら違法ではない。

3  原告が被つたと主張する損害について

原告は本件建物の分譲による得べかりし利益と借入金利息をその被つた損害として被告に賠償を求めている。

しかし、仮に被告の建築主事が確認を留保したことが違法であるとしても、原告主張の得べかりし利益の算定に際しての高度地区に指定された後の本件土地に建築可能な建物については、その想定が合理的であるか否かが分明ではなく、また原告は、実際には建物を建築することなく本件土地を他に譲渡することによつて利益をあげており、建物分譲利益を土地譲渡による利益に転化したものであり、なんら損害を生じていない。また借入金利息も、建築主事による確認の有無にかかわらず原告の支払うべき性質のものであつて、被告が賠償の責を負う原告の損害ということはできない。

のみならず、原告主張の損害は、以下のとおり被告の建築主事が確認を留保したことと相当因果関係に立つものとはいえない。

(一) 原告が本件建物の建築ができなかつたことにより、その分譲により得べかりし利益を得ることができなかつたのは、被告の建築主事が確認を留保している間に本件土地が高度地区に指定されたことに起因するものである。

ところで、通常の場合においては建築主事が確認を留保しても、それはただ単に予定された時期に確認がされないだけであり、関係法令に適合する限りいつかは確認がなされるのであつて、確認がなされないという結果を生ずることはないのである。ところが本件において特に確認することができなくなつたのは、本件土地が高度地区に指定されたことによるのであるから、これにより本件建物の建築が不能となつて原告の被つた損害は、いわゆる通常生ずる損害ということができず、本件に特有な損害というべきである。

また原告主張の借入利息についても、建築確認がなされるより前に建築費用を借入れるようなことは通常ではないから、これも本件に特有な損害というべきである。

(二) 一般に、不法行為に基づく損害賠償が認められるためには、違法な行為と損害との間に相当因果関係があることが必要であり、また相当因果関係があるとされるためには、通常生ずべき損害は別として、特有な損害については、当事者がそのような損害を生ずべき事情を予見し、または予見しうべきことが必要とされている。

ところが本件においては、原告主張の損害については、被告の建築主事に本件土地が高度地区に指定されることについての予見可能性はなかつたものである。

すなわち、建築主事は行政庁であつて、自然人とは異なるから、その予見可能性については、建築主事が行政庁として職務を行なうにつき知り、または知りうべき事実のみを基礎として判断されるべきであつて、建築主事たる地位にある者が自然人として職務以外に特に知り、または知りうべき事実を基礎として、その予見可能性を判断されてはならないというべきである。そして、本件において建築主事は、都市計画法にもとづく高度地区の指定について職務上関与することはないから、本件土地が高度地区に指定されることを都の告示前に予見することはまつたく不可能である。

仮に右主張が認められず、建築主事が自然人として得た知識(他の行政組織の一員として得た知識をも含む。)をも併せてその予見可能性を判断する際の基礎たる事実としなければならないとしても、東京都が高度地区の指定をするにあたつて被告が関与した段階においては、本件土地の大部分は第三種高度地区に予定されていたのであつて(第三種高度地区であるならば、本件建物の建築計画は若干の修正が必要であるものの、確認することが基本的には可能であつた。)、被告あるいはその建築主事としては、これが第二種高度地区と指定されることについては、東京都の告示がなされる直前までまつたく予見しえなかつたのである。

そして、仮に右告示のなされる直前に被告の建築主事が原告に対し建築確認をしたとしても、原告は右告示の日より前に建築工事に着手できなかつたことは明らかであるから、原告主張の得べかりし利益である損害と建築主事が確認を留保したこととの間には、相当因当因果関係がないものといわなければならない。

また、原告主張の借入金利息についても、原告が建築確認を得る前に本件建物の建築費用を借入れたことについての予見可能性は、被告あるいはその建築主事にまつたくなかつたことは明らかである。

第四被告の主張に対する原告の反論

一  原告の建築計画の関係法令適合性について

1  法は、住環境の整備保存のため、本来ならば自由であるべき建築物を建築する国民の権利、すなわち私権としての建築の自由について最低の規制を定めるとともに、建築主は、その建築計画が関係法令に適合するか否かにつき、事前の建築主事の確認という判断過程を経て、初めて建築に着工でき、この確認を経ずに、あるいは確認された建築計画以外の建築物の築造を禁止するという建築確認の制度を規定しているところ、私権である建築の自由は、憲法上保障されている権利として行政上も最大に尊重されるべきであるから、建築主事としても、法に基づく確認あるいは不確認とすることについての職務上の権限を有すると同時に、法六条三項所定の期間である申請の受理から二一日(または七日)以内に右のいずれかの判断をなすべき法律上の義務があるというべきである。しかも、法の趣旨とするところからして、建築主事は、確認にあたつて当該建築計画が関係法令に適合しているか否かのみを判断すべきであり、他の行政目的の実現を理由として確認を留保したり拒否することは許されないのであつて、関係法令に適合する建築計画については、公益上の判断を加えて確認を拒むことができず、法定の期間内に確認すべき法的拘束を受けているものと解される。

したがつて、本件建物の建築計画は、昭和四八年一月二〇日ころには設計変更がなされたうえで一切の申請手続が完備し、関係法令に適合するに至つたのであり、その後消防署長の同意も得られたのであるから、このころ以降建築主事がなおも確認を留保することは、それ自体違法といわなければならないのである。

2  のみならず、設計変更後の原告の本件建物の建築計画は、以下のとおり、四囲の状況に照らしても本件土地の利用形態として相当なものであり、しかも本件土地の近隣住民の実質的な合意を得ていたものであるから、これにつき建築主事が確認をすることについての支障は実質的にもなんら存しなかつたものである。

しかるに建築主事が原告の要請にこたえず申請を放置して確認をしなかつたのは、本件土地が近い将来高度地区に指定されることを見越して、本件建物の建築ができなくなるよう故意にひきのばしたものである。

(一) 本件土地の周辺地域は、相当部分がすでに中高層建物街区となつていたのであり、しかも本件土地に接して東京都水道局の四階建共同住宅等がすでに建築されていたのであるから、これとほぼ同程度の規模である設計変更後の本件建物の建築計画は、土地の有効利用という観点からして相当なものであり、条理に照らしても肯認されるべきであつて、これにより近隣住民が多少の日照阻害を受けるとしても、それは受忍すべき限度内のものであることが明らかである。

(二) 原告は、本件土地の近隣住民と誠意を尽して話合い、その要望をとり入れ当初の建築計画を前記の水道局四階建共同住宅よりさらに譲歩したものに設計変更して、この建築計画自体については住民の同意を実質的に得ていたのである。

すなわち、原告は、被告の主張のとおり数回にわたつて住民と会合をもち話合いをしたのであるが、第四回会合(昭和四七年一二月三日)において住民側からの対案として出された工藤区議会議員の試案を、原告も結局やむなしと判断してこれを最終的には受けいれることとし、その後同年一二月九日には原告との会合の席に住民側から出席して住民の代理人として発言していた斉藤浩二弁護士を訪れ、すでに原告が提案していた本件建物の設計変更案を工藤議員の試案に基づいてさらに一部修正することについて同弁護士と話合い、同弁護士からの要求も容れて、結局その承諾を得て実質的合意に達したのである。

そして、その後の会合は原告及び住民の双方の意向を被告の職員が立会つて話合いを重ねて確認するために開かれたものであり、第五回会合(同年一二月二六日)においては、設計変更後の本件建物の建築計画自体についての住民からの積極的な反対意見はなく、ただ原告の作成した日影図が一部不正確であつたので原告においてこれを修正することになつたのみであり、大勢としては正確な日影図が提出されれば右建築計画は承認されるような状況にあつた。そこで原告は、現地測量をして作成した日影図を事前に住民側に届け、第六回会合(昭和四八年一月二二日)に臨み、本件建物の建築について承認を求めたのであるが、これに対し住民側は、このときになつて突如として従前主張しなかつた区域の家屋に対しても日影図を作成するよう提案し、本件建物の建築計画について承認を求める原告の要求にはなんら返答せず、したがつてまた原告の建築計画には具体的になんら反対することもなく、結局話合いを放棄するかのように退席してしまつた。したがつてこのときの会合においてはなんら実質的な話合いはなされず、また以後に話合いをさらに継続することについての合意もまつたくなされなかつたのであつて(被告の主張はこの点で事実に反する。)、住民側の不誠実な態度は、本件土地が第二種高度地区に指定されることを見越し建築確認を遅らせるため、話合いをひきのばすためのものとしか考えられないものであつた。

以上の原告と住民との話合いの経緯によれば、設計変更後の本件建物の建築計画について実質的には住民の合意があつたものと評価できるのであつて、そうであるならば、被告の建築主事がこれにつき確認することに支障となるべき事情は実質的にもなんら存しなかつたものといわなければならない。

二  建築計画の不確定性について

被告は、原告の確認申請にかかる本件建物の建築計画は不確定であつて、その間建築主事は確認を留保することができると主張する。

しかし、確認申請にかかる建築計画が関係法令に適合している以上、建築主事は法所定の期間内に確認をすべき義務があること前記のとおりであつて、仮に確認がなされた後に設計変更あるいは工事変更がなされたとしても、その場合は法七条以下の検査あるいは違反建築の問題として処理すれば足り、将来なされる設計変更等を理由に確認を留保することは許されないものである。

まして本件においては、原告の申請にかかる本件建物の建築計画が本件土地の近隣住民の反対意見によつて縮少されることはありえたとしても、これが拡大あるいは著しく同一性を害する程度の設計変更がなされることは考えられなかつたのであるから、被告の建築主事は、原告の当初の確認申請に対してもすみやかに確認すべきであつたのである。のみならず、原告は、前記のとおり住民の要望を容れて設計変更し、実質的にその合意を得たうえ、これに基づき昭和四八年一月二〇日ころに建築主事に対し設計変更届を提出したのであるから、本件建物の建築計画はこのころにおいて最終的に確定し、以後は変更されないものとして原告は確認を求めていたものというべきである。

また、本件建物の設計あるいは設計変更に際して、原告は多大な設計監理料を支出しているのであつて、このことからも原告には本件建物の建築計画を安易に変更する意図はなかつたことが明らかであつて、いずれにしても被告の主張は失当である。

三  行政指導の適法性について

被告は、行政指導が続けられている間建築主事が確認を留保することは違法ではないと主張する。

しかし、被告の右主張は以下のとおり失当である。

1  建築主事は、法六条一項に規定する確認に関する事務を取扱う権限のみを有するものであるから、その行ないうる行政指導もあくまでも確認申請にかかる建築計画についてその事務処理に関連してなされる範囲にとどまるべきであり、建築主と近隣住民との諸種の民事紛争に介入する責務権限はまつたく有しないのであつて、したがつて建築主事の行なう行政指導の内容も、指導を受ける者の自発的協力を得て近隣住民に対して事情説明させその了解を求めさせる程度にとどまるべきものであつて、自ら一定の限界が存することを無視できないのである。被告が昭和四七年一二月一五日に制定した指導要綱は、そもそも拘束力のある法規ではなく、またこれが制定されたときより早い時期になされた原告の確認申請に適用されるべきものでないばかりでなく、指導要綱自体もせいぜい建築主に対し近隣住民との対話を義務づけたものにすぎず、それ以上に建築主になんらかの義務を課したものでもない。

したがつて、被告が行ないうる行政指導は、あくまでも指導を受ける者の自発的な意思に即応してなされなければならないのであり、指導を受ける者が明確に行政指導を拒否するなどにより、行政指導を行なうことが無意味であることが客観的に認められる場合には、もはや行政指導を継続することはできず、これに応ずることを強要することは許されないのである。

2  本件において、原告は行政指導に応じ誠実に近隣住民と話合い、その要望を容れた設計変更を行なつたものであり、設計変更後の本件建物の建築計画は前記のとおり最終的なものとして確定していたのであつて、原告として以後これをさらに変更することはありえず、第五回及び第六回会合において住民側も建設計画自体については異論あるいは反対を述べなかつたのである。そうである以上原告としては設計変更を行なつた後の本件建物の建築計画についてはもはや行政指導を受ける必要もまつたく認めず、これを拒否していたものであるから、したがつて、そのころ以降も原告に対し行政指導を続けることは、原告のみに一方的な犠牲を強いるものであつて、行政指導自体が違法となるものといわなければならない。

また、前記の原告と住民との話合いの経緯からみて、設計変更がなされた段階において原告の申請に対する確認が得られなければ、原告は工事の施行等に関する以後の住民との全体的な話合いに入ることもできない状況であつたのであるから、被告の建築主事としても、原告と住民の話合いをまとめ合意を成立させるためにはすみやかに確認をなすべきであつたのであり、この段階以降の行政指導はこの点においても無意味なものとして許されないものであつた。

3  以上に加え、被告は原告と近隣住民との第五回会合が行なわれた昭和四八年一月二二日以降も行政指導を継続していたと主張するが、原告は、右日時以降被告からなんら具体的に助言、指導を受けたこともなく、本件土地が高度地区に指定されるまで具体的に行政指導が行なわれた事実はまつたくない。したがつて、行政指導が行なわれている間確認を留保することが違法ではないと仮に被告の主張のように解する余地があるとしても、被告の主張はその前提を欠くものであつて失当である。

四  高度地区指定の予見可能性について

被告の建築主事は、昭和四七年一一月ころ以降本件土地の大部分が第三種高度地区となるような高度地区指定の被告案の立案について関与し、また本件土地部分につきこれを第二種高度地区に変更する東京都知事の調整案に対する被告の意見の作成に際してもこれに関与したものであるから、本件土地が第二種高度地区(ただし一部は第一種高度地区)として指定され東京都から告示されることについては、事前に十分予見していたものである。

したがつて、被告の建築主事が、右の事情を了見しながら、原告の再三にわたる要請にもかかわらず本件建物の建築計画について確認をしなかつたことが違法な越権行為であることは極めて明白である。

なお、被告は、本件土地が高度地区に指定される直前に建築確認がなされたとしても、原告は右指定より前には本件建物の建築に着工できなかつたと主張するが、原告は、建築工事関係者と十分に事前の交渉を重ね、建築工事の着手についての準備をすすめていたのであるから、確認が得られれば直ちに工事に着手できたのであつて、被告の主張は失当である。

また、借入金利息についても、被告は、建築確認を得る前に原告が建築資金を借入れることについては予見可能がなかつた旨主張するが、原告は、建築主事に対して確認をなすべきことを求めるに際して建築資金借入れの事実を伝えてあつたのであるから、建築主事は、原告に借入金利息が発生していたことを当然知つていたものである。被告の主張はこの点に関しても失当である。

第五証拠〈省略〉

理由

一  原告の請求原因一ないし三及び五の事実は当事者間に争いがない。

二  原告は、原告の建築確認申請に対し被告の建築主事が違法に確認を留保している間に本件土地が高度地区に指定され本件建物の建築が不能になつたと主張するので、被告の建築主事が原告の確認申請に対して確認を留保したことの適否について判断する(なお右当事者間に争いがない事実によれば、本件において当初の確認申請(昭和四七年九月二五日付)は内山啓次名義でなされ、後にこれを原告とする変更届(昭和四八年二月一三日付)が提出されたものであるところ、実質的な建築主したがつて確認申請者は当初から原告であつたというのであるから、以下においては原則としてこれを区別せず原告として表示することとする。)。

1  建築確認は、建築主事が申請にかかる建築物の計画についてそれが関係法令(当該建築物の敷地、構造及び建築設備に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定)に適合する旨を公の権威をもつて確認し宣言する行政処分であり、建築主は法六条一項各号所定の建築物を建築しようとするときは、当該工事に着手する前に建築主事の確認を受けなければならないとされ(法六条一項)、確認を受けないでする建築の工事は禁止され(同条五項)、建築主が右義務に違反すると罰金の制裁が科せられる(法九九条一項二号)こととされている。

すなわち、法は、一定の建築物については建築主事の事前の確認を得ない建築行為を禁止し、建築主は確認を得ることによつて初めて適法に建築行為を行なうことができ、その後現実に当該建築物を使用するための手続へ移行することができるものとする手続制度を採用することによつて、当該建築物の関係法令適合性を確保しようとするものと解される。

2  もつとも、建築主事の確認の対象となるのは、当該建築計画の関係法令適合性の有無のみであり、また建築主事は、申請にかかる建築計画が関係法令の規定上当該規定に適合するか否かを認定するについてはある程度の裁量を有することはありうる(たとえば法二九条、三三条など)としても、当該計画が関係法令に適合すると判断した以上は確認するか否かについて裁量を有するものでもない。

すなわち、関係法令に適合すると判断した建築計画について、建築主事が確認を拒否し不適合とする処分をすることはそれ自体違法であり、その理由が仮に他の一定の行政目的を実現するためのものであるとしても、右処分を正当ならしめるものではないといわなければならない。

3  しかし、以上は建築主事の行なう確認あるいは不適合の処分それ自体に関してのことであつて、建築主事が確認申請に対してある期間その応答を留保することは、これと別個に考えなければならない。もつとも、法六条三項、四項によれば、建築主事は確認申請を受理した場合においては、その受理した日から二一日(ただし同条一項四号の建築物については七日)以内に、申請にかかる建築物の計画が関係法令に適合するか否かを審査し、適合すると認めたときは確認の通知を、また適合しないと認めたときは不適合の通知を申請者に対し行なわなければならないとされている。法が右のような期間制限を定めた趣旨は、建築主事に対し確認申請についての応答を迅速になすべきことを求めているものであると解され、しかも、およそ建築については国民の日常生活あるいは営業等の基盤をなすものとして、本来ならば建築自由の原則が支配しているのであつて、この原則に対する法的規制としての建築確認の制度について明文により申請に対する応答期限が定められている以上は、この期間制限が行政庁に対する単なる内部的な訓示規定と解することはできないのであり、この期限を超える建築主事の不作為は原則として違法となるものと解すべきである。

しかし他方、法六条四項に、建築主事は申請書の記載によつては当該計画が関係法令に適合するか否かを決定できない正当の理由があるときは、前記の期限内にその理由をつけてその旨を通知(いわゆる中断通知)すべきことが規定されていることなどからも窺えるように、確認あるいは不適合の通知をすべき決定の期限も、あらゆる場合に例外を許さない建築主事に対する応答義務についての絶対的な期限規定とまでは解することができないというべきであつて、建築主事が法定の期限内に応答をなさないことについて、社会通念上合理的に正当と認められるような事情が存する場合においては、その事情が存続している間応答を留保することは、これを違法ということはできないものといわなければならない。そして、建築主事が申請に対する応答を留保することについての右にいわゆる正当な事情には、法六条四項所定の場合、すなわち申請書類の不備等により申請書の記載によつては関係法令適合の有無が判断できないといういわば形式的な理由に基づく場合のみにとどまらず、実質的にみて、建築主事が法定期限内に応答できない合理的理由がある場合(たとえば申請にかかる建築計画に対する審査事項が複雑多岐にわたるため到底法定の期限内では審査を完了できないような場合)、さらには形式的には応答することが可能であつても、建築主事が直ちには応答しないことがむしろ法の趣旨目的からも社会通念上からも相当であると解されるような特段の事情が存する例外的な場合もこれに含まれるものと解すべきであつて、そのうち後者の場合には、当該建築計画をめぐつて建築主と近隣住民の間にいわゆる建築紛争を生じ、これを解決するための関係地方公共団体(あるいは行政庁)の行政指導が行なわれている場合であつて、その行政指導が相当と認められる方法により、かつ真摯に行なわれているものであり、しかもこれにより円満な解決が期待できる限りにおいて、形式的に確認をすることが可能であつても応答を留保する場合もこれにあたるものと解するのが相当である(なお、このような場合も法六条四項に準じて中断通知をすべきであると解される。)。

4  以上の理由を本件に即して建築紛争をめぐる行政指導に関してのみさらに敷衍すれば次のとおりである。

(一)  すなわち、建築確認の制度は、申請にかかる建築計画の関係法令適合性のみを判断するものであること前記のとおりであり、それ以外の事項、たとえば当該敷地の近隣の日照、通風、景観等に関する事項については関係法令に規定がある限度において間接的に確認の対象となりうることはあつても、これらが直接に確認の対象となるものではない。しかし、法は、本来その目的として「建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資する」(一条)ことを定め、結局のところ快適な住環境の保全維持及び増進は法の趣旨目的とするところと解せられることに加え、日照、通風等の阻害を理由とする建築紛争を当事者による自主的な解決あるいは事後における純法律的な司法判断のみに委ねることなく、関係地方公共団体が事前にその紛争解決を目指して双方の利害の調整を行ない、条理に則した妥当な解決を図ることは、行政目的一般からもまた建築行政という分野に限つてみても、当該地方公共団体に課せられた重要な任務であつて、このような地方公共団体の調整及び紛争解決機能は、法の前記趣旨目的に明らかに沿うものといえるのである。しかも、近時においては、直接には建築確認の対象とならない日照、通風、電波障害等をめぐつて各地で建築紛争が多発していることは周知の事実であり、これに伴い、近隣住民の意思を考慮することなく建築行政を行なうことは今日ではもはや不可能であり、建築確認制度のみでは処理できないこれらの問題を事案に即して妥当に解決することが建築行政上関係地方公共団体に強く求められ、かつ極めて重要な機能を果しているのである。

(二)  ところで、関係地方公共団体が右の行政目的を達成するため、関係当事者の任意による協力、同意を得て、その互譲により紛争を解決するよう働きかける事実行為としての行政指導は、建築確認のように単に関係法令適合性の有無のみが問題となるのではなく、あくまでも条理に則した対立当事者の互譲に基づく合意によつて紛争を解決しようとするものであるから、建築確認制度とはある意味では無関係ともいえなくもなく、建築主事が建築確認をした後においても行政指導を続けることはもとより可能である。しかし、現実には一旦建築確認がなされれば、建築主が建築工事に着手する法的障害はなくなるのであるから、建築確認は対立当事者の一方である建築主に事実上加担する結果となることは見易い道理であり、当事者の十分な話合いや互譲によつて紛争を妥当に解決しようとする以後の行政指導もその実をあげえず、紛争を深刻化させ、その解決を長びかせあるいは困難にさせることは当然予想されるところである。そして法の趣旨目的が前記のとおりであつて、行政指導により単に形式的に関係法令に適合することのみにとどまらず、関係当事者の合意を基礎として双方の利害が調整され建築紛争が解決し、より一層快適な住環境が整備されることはまさにこの目的にかなうものであるから、右の目的をもつた行政指導がその目的等に照らし社会通念上相当と認められる方法により真摯に行なわれ、かつ円満な解決が期待できる限り、むしろその行政指導が行なわれている間は当該申請にかかる建築計画が形式的に関係法令に適合する場合であつてもこれにつき確認することを留保し、行政指導を継続することによつて紛争解決を図ることの方が、法の趣旨目的により一層沿うものであり、また行政一体の原則からも望ましいものであることが明らかであるといわなければならない。

そうとすれば、このような行政指導が行なわれていることにより、建築確認が所定の期限内になされず多少遅れるような事態は、法もこれを容認しているものと解すべきであつて、直ちに確認を得られないことにより建築主が被る不利益は、法の前記趣旨目的に照らし建築主においてこれを受忍すべきものとすることもやむをえないというべきである。

もとより右のような行政指導を理由とする建築確認の留保は、法六条四項所定の「申請書の記載によつては決定することができない場合」に該当しないことは文理上明らかである。しかし、法の制定当初とは異なり、関係法令の増加あるいは複雑化等に加え、前記のような行政指導の必要性の増大などによる今日の建築行政における国民からの行政需要の著しい量的質的な拡大は、法の本来予想するところではなかつたのであるから、したがつて、今日において法の右条項が、その所定の場合以外に確認申請に対する応答を法定期限内になさないことをすべて禁ずる趣旨とまでは到底解することができないといわなければならない。

(三)  以上のように解すべきことは、また、次の理由によつても肯認されるべきである。

すなわち、建築確認制度の趣旨目的は前記1のとおりであつて、法は、一定の建築物について確認にかかる建築計画以外の建築を本来的に禁止しているものであるところ、確認申請にかかる建築計画について建築紛争が発生し、これに対して行政指導が行なわれることにより円満な解決が期待できるときは、通常は当該建築計画は設計変更されることが当然予想されるのであるので、建築確認制度の前記趣旨からいえば、確認を受けるべき建築計画は現実に建築がなされるもの、すなわち行政指導に基づく設計変更後の建築計画であるということになる。したがつて、申請にかかる建築計画について、これが変更される客観的可能性があるといういわば申請における形式的な面を根拠として、前記のような行政指導がなされている間、建築主事が申請にかかる当初の建築計画についての確認を留保することは許されるものといわなければならない。

もつとも、確認を得た後、工事着手前あるいは工事中に建築計画を変更するときには、その変更が法六条一項あるいは八七条一項の確認を必要とするような工事または用途の変更である場合、あるいは規模、構造または用途の変更が著しく当初の申請にかかる計画と同一性を有しないと認められるような場合は、あらためて確認を受けることを要するが、それ以外の場合は確認を受け直すことまでは必ずしも必要ではなく、法七条以下の工事完了に際しての検査及び使用承認、あるいは法九条の違反是正命令によつて処理しうるのではあるけれども、しかし、変更を当初から予定するような申請を右の処理によつてまかなうことは、法の規定する建築確認制度の趣旨とするところと相容れないことが明らかであつて、むしろ当初の建築計画を変更させたうえでこれにつき関係法令適合の有無を判断すべきということになる。

そして、申請にかかる当初の建築計画が変更される可能性を有するか否かは、単に申請者の主観のみに基づいて判断するのではなく、その際行なわれている行政指導の経緯、これに対する当事者の対応その他の諸事情を総合して客観的に判断すべきであつて、以上のように解することが、前記(一)、(二)で判示した理由とあわせて、法の趣旨目的に沿うものといわなければならない。

三  以上の観点に立つて、本件における原告の建築確認申請とこれに対する被告の行政指導の経緯について検討を加え、被告の建築主事が確認を留保したことの適否について判断することとする。その順序として、以下まず1において第四回会合のころまでの原告と本件土地の近隣住民との交渉の経緯を、次に2においてこの間及びこれ以降の被告の行政指導とこれに対する原告らの対応の経緯について認定する。

1  第四回会合ころまでの原告と近隣住民との交渉の経緯

いずれも成立に争いのない甲第一ないし第三号証、第九号証の一ないし四、第一二号証の一ないし三、乙第二号証、証人内山啓次の証言と弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第五号証、証人東克己の証言と弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第九号証、証人東克己及び同内山啓次の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すれば次の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

(1)  本件土地は、従前は製菓工場の用地となつていたものであるが、原告はここにいわゆるマンシヨンを建築して分譲する目的でこれを買受け、昭和四七年九月四日には所有権移転登記を了した。また、本件土地の近隣住民は、そのころ本件土地にマンシヨンの建築計画があることを知り、住居が日照阻害等を受けることを憂慮して、本件土地の形状から最も大きな被害を受けると思われる東克己を中心に関係者約二〇名を組織してこれに対する対策を練つていたが、右移転登記によつてマンシヨンの建築主が原告であることを知るに至り、原告に対し建築計画についての話合いを申入れ、同年九月七日には原告と住民との第一回会合が行なわれた。このとき原告は、本件建物の建築計画の概略についての説明を行ない、住民からはこれに対する各種の苦情あるいは要望が出されたが、建築計画についての具体的な図面が用意されてなかつたため、次回以降は図面に基づいて話合うこととなつた。

(2)  その後原告は、同年九月二五日、本件建物の建築計画について被告の建築主事に対し建築確認申請を行ない(この事実は当事者間に争いがない。)、これを知つた住民からの要求により、同年一〇月一九日に第二回会合が行なわれた。しかし、このときは本件建物に関する日影図が原告においてまだ作成されてなかつたので、付近の住家に対する日照阻害の程度が具体的には分明でなく、双方が具体的事項について話合うことができなかつたため、原告において日影図を作成して事前に住民側に届けた後に、話合いを継続することとなつた。

(3)  そこで原告は、本件建物に関する日影図を作成し、これを同年一一月六日ころには住民側に届け、これに基づき第三回会合が同月二八日に行なわれた。この席には、中野区議会議員工藤泰治が出席し、主として住民側の利益を代弁する立場で発言し、本件建物の建築計画を大幅に縮少するよう求め、また住民からも本件建物を地上三階建程度に変更してほしい旨の発言がなされた。しかし原告は、建築計画を縮少する意向はあるが、住民側からの提案をそのまま採用することは採算上困難であると主張して、結局双方の合意が成立するには至らず、双方がさらに本件建物の規模等について検討して次回以降の会合において話合いを継続することで合意した。

(4)  ところで原告の確認申請にかかる当初の本件建物の建築計画は、東西方向に長い棟(以下「A棟」という。)と南北方向に長い棟(以下「B棟」という。)の二棟が、A棟の西端とB棟の北端において本件土地の西北端で接する逆L字型の建物で、A棟は総五階、B棟は南側部分六階、北側部分五階の規模であり、地下ガレージ付のためA棟の最高部は地上一五・三メートルというものであつた(なお、本件建物において面積上あるいは付近の住家に対する日照阻害等の影響に関して主要な部分を占めるのはA棟である。)が、原告は、第三回会合の後である同年一二月一日工藤議員を訪れ、前回の会合における同議員の提案を図面にしたものを受取つた。それによると工藤議員の案(工藤試案)は、A棟につき、北側部分三階、南側部分四階とし、各階の高さは二・六五メートルで地下なしとすることにより最高部を地上一〇・九五メートルにとどめることを内容とするものであつた(もつとも工藤試案は、本件建物の主たる部分であるA棟のみに関する提案であり、必ずしも本件建物の全体についての具体的な内容を有するものとはいいがたい案であつた。)ので、原告は次回の会合である第四回会合に臨むべく、工藤試案に対応する原告の縮少案を準備した。

(5)  そして第四回会合は同年一二月三日に行なわれ、原告は前記の工藤試案に対応し、A棟を全面四階(ただし東端部分は三階)に縮少し、各階の高さを二・八メートル、地下ありとし、A棟の最高部を地上一二・五メートルとする対案(第一次修正案)を住民側に提案したが、結局この原告の第一次修正案は住民に反対され、これについての合意を得られなかつた。そこで原告は、右第一次修正案を前提としてこれよりさらに住民側に譲歩して、A棟の四階部分の北側部分を三階とし、ただし西端部分を五階とする案(第二次修正案)を提案したが、これについても結局住民の同意を得るには至らなかつた。

(6)  そこで原告は、第四回会合の結果に基づきさらに本件建物の建築計画を縮少することによつて住民の同意を得ようとし、同年一二月九日、従前の会合において住民側の立場から発言していた斉藤浩二弁護士の事務所を原告の代理人たる弁護士とともに訪れ、原告の希望を述べるなどして斉藤弁護士と折衝し、同弁護士の意見もとりいれて、A棟は北側部分及び東端部分を三階、その余は四階とし、またB棟は、南端部分六階、中央部分五階、北端部分は四階一部三階とし、さらに地下なしとして各階の高さは二・七五メートル、A棟の最高部は地上一一・三メートルとする案(第三次修正案)によつて、同弁護士との間では一応の了解に達した。しかし、原告からの話合いの申入れに対する工藤議員と交渉してほしい旨の住民側からの回答に応じ、原告は、その後同月一三日工藤議員に面会し、右の第三次修正案を示したところ、同議員は右の案では了承できず、各階の高さは工藤試案のとおりとするよう回答し、結局双方に合意をみるには至らなかつた。

2  原告の確認申請に対する審査、行政指導及び第五回会合以降の原告と住民の交渉の経緯について

前掲各証拠(ただし甲第一ないし第三号証を除く。)に加え、いずれも成立に争いのない甲第一〇、一一号証、第一二号証の四、第一三、一四号証の各一、二、乙第一号証の一ないし五、第三、四号証、証人三好泰照の証言(第一回)により真正に成立したと認められる乙第六号証、証人堀野栄一の証言により真正に成立したと認められる乙第一二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第八号証の二、三、第一一号証、証人三好泰照(第一、二回)、同藤村敏行、同堀野栄一の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められ、この認定に反する証人内山啓次、同東克己、同藤村敏行、及び原告本人の各供述は措信できない。

(1)  被告は、その建築行政事務を担当する部課として環境部に建築課をおいてこれにあたらせ、建築課長は、同時に法に基づく建築主事としてその任務を担当することとなつていた。また、被告は、マンシヨン等の中高層建築物をめぐつて当時頻発していた日照問題等を理由とする建築紛争については、特にこれに対処するため建築課に担当主査二名をおき、問題処理にあたらせたほか、昭和四七年五月ころからは建築紛争調整員制度を発足させ、当事者の申出により、建築確認をする前に建築主に対し建築計画にかかる建物についての日影図を提出させ、これに基づき建築予定地の近隣住民に当該建築計画を説明させその了解を求めるようにさせることを内容とする行政指導を行なつており、本件の原告の確認申請がなされた当時も、右のような建築紛争について当事者の話合いを促し、これによつて紛争を解決するための斡旋を行なう体制をとつていた。そして、被告はこのような行政指導によつて従前相当程度に紛争解決の成果をあげていたが、さらに同年一二月一五日には、以上のような行政指導の手続その他を明文化させた指導要綱(中野区中高層建築物に関する指導要綱)を制定し実施した。この指導要綱の規定は、一定規模以上の中高層建築物の建築主に対し、建築確認を申請する前に建築計画を近隣住民に説明し、日照阻害等の問題につき住民の同意を得るよう努めるべきこと、また建築計画に関する各種の報告や日影図等を区長に提出すべきことを定め、さらに区長は、建築紛争の発生を未然に防止し、地域の住環境を保全するため、必要に応じ適切な指導を関係者に対し行ない、建築確認事務の担当職員もその事務処理にあたつて指導要綱の趣旨を十分に生かすべきことを、その主たる内容として定めていた。

(2)  ところで、原告の確認申請は、前記のとおり昭和四七年九月二五日になされたものであるが、本件土地は、従前、悪臭あるいは騒音等のいわゆる公害の発生源となつていた工場の移転した跡地であつて、ここに原告が建築主となつてマンシヨンが建築されることを察知した近隣住民は、右申請に先立つ同年九月一六日、マンシヨンの建築に反対し、被告が公共用地として本件土地を買上げることを求める請願を中野区議会に提出していた(この請願は同年一〇月五日採択された。)。

そこで被告の担当職員は、建築主事が原告の申請を受理するに際して、本件建物の建築については日照阻害等を理由に近隣住民がこれに反対している事情を伝え、本件建物建築計画を公開して、住民の了解を得るべく話合うよう原告に対し指示した。

なお、建築主事は、原告の申請を受理した後その審査を開始したが、右申請にはその添付書類に記載もれ等の不備があつたため、申請名義人(内山啓次)に対しその訂正を指示するとともに、同年一〇月初旬ころ法六条四項に基づく中断通知を行なつた。

また、被告の担当職員は、原告と住民の話合いにおいて合意が成立することを強く期待して、原告らが建築課を訪れた機会等を利用し、数回にわたつて住民との話合いを促し、住民の了解を得ることを指示するとともに、住民との話合いの状況及び経過について報告することを求め、これに応じ当初の申請名義人であつた内山啓次は、概略前記1のとおり被告に対しこれを報告した。この間、前記訂正指示に基づく申請書類の訂正が行なわれ、これが一応完備した(ただし、実際にはなお不備があることが後になり判明し、建築主事は同年一二月下旬ころ再度の中断通知を行なつた。)ので、被告の担当部課は、原告の申請についての審査を続行し、同年一一月一七日には法九三条一項に基づく管轄の東京消防庁中野消防署長の同意を得たが、建築主事としては、原告と住民の話合いが続いており、双方が合意に達するのを待つこととして、ただちに確認をすることは留保した。

(3)  原告は、近隣住民からの申入れもあり、また被告から指示されたこともあつて、前記1のとおりの経緯により住民との話合いを続ける一方、その間口頭あるいは文書により数回にわたつて建築確認をなすよう要請してたが、そのつど被告の三好建築課長(建築主事)あるいは担当職員らに住民との話合いの経緯を尋ねられ、あるいは住民の了解を得るべくさらに話合いを続行するように求められ、結局確認は得られないまま推移していた。

また被告は、このころ前記のとおり指導要綱を制定し実施したので、本件建物の建築計画についても指導要綱に準じた行政指導を行なうこととし、原告はこれに応じ、区の指導に従つて紛争を生じないよう努めることなどを内容とする誓約書を提出した(なお右誓約書は内山啓次の名義で提出されたものであるが、原告もこれを提出することは了承していた。)。

しかるところ、その後三好建築課長は、原告から前記1(6)のとおり住民側の斉藤弁護士との話合いにより同弁護士とは合意に達した旨の報告とともに、すみやかに確認すべきことを要請されたので、被告としても、指導要綱の趣旨にのつとり双方の話合いを斡旋するとともに合意の成立の有無を直接確認するために、被告の職員が立会つて原告と住民の会合を開くこととなつた。

(4)  そこで原告と近隣住民との第五回会合が同年一二月二六日中野区役所内の会議室で行なわれ、被告からは三好建築課長はじめ四名の職員が出席した。会合は三好課長の司会により進められ、まず従前の話合いの経過が報告され、原告からは第三次修正案による建築計画を承認してもらいたいとの要望がなされた。しかし、こに対し住民側は、原告から提出された本件土地の敷地関係の図面が現地とは相違していること、また日影図も近隣住民の住居の配置その他が不正確であり、正確な日照阻害の程度もわかりにくいとの指摘がなされ、原告の第三次修正案についてもさらに東西の両端を二階に変更するようにとの要望がなされた。その結果、この会合においては建築計画についてのそれ以上の具体的な交渉は行なわれず、したがつてこれについての双方の合意も成立するに至らず、原告において敷地図面を訂正し、また正確な日影図を作成したうえで、建築計画についての具体的な交渉を継続することを合意したにとどまつた。そして日影図については、住民からの要望により、日照阻害の程度がわかりやすい立体図(展開図)も作成することとなり、また正確な配置図等を作成するためには住民の住居や敷地に立入測量を行なう必要があるため、住民側としても原告が測量のためその住居等に立入ることを認め、双方立会いで現地測量をすることになり、その結果原告が正確な日影図を作成したならば事前に住民側にこれを届け、これに基づき次回は翌昭和四八年一月二二日に双方の話合いを行なうことで双方が了承した。

(5)  原告は、右の了解に従い、昭和四七年一二月二七日及び二八日の両日にわたつて現地測量を行ない、その結果に基づき新しく日影図を作り直し、昭和四八年一月初旬ころにはこれを住民側に届けた。そこで前回合意されたとおり、同月二二日中野区役所内会議室において第六回会合が行なわれ、被告からは担当主査ら四名が出席した。この会合では、まず被告の職員から前回の話合いの経緯の概略についての説明があつた後、原告が事前に提出していた前記日影図に関しての検討が行なわれ、住民側からは、本件土地の境界から一部住民の住居までの距離が図によつて〇・五メートルないし一・五メートル異なつているなど、住居の配置図がなお不正確であり、日影線の位置についても具体的な影響度を示す数値等が一部記載もれになつているとの指摘がなされ、また提出された日影図には記入されていない本件土地北側部分の東側に位置する二軒の家屋についても図に記入するようにとの要望がなされ、原告も日影図の一部がなお不正確である事実は認めた。そのため、この会合においても、本件建物の建築計画の当否については結局検討がなされず、再度現地測量を行ない、これに基づき日影図を作り直したうえで、さらに双方が話合うことを合意したにとどまり、第六回会合を終えた。

そして同月二八日ころに、住民側による現地測量が行なわれたが、その後本件土地が高度地区に指定された同年四月一九日に至るまで、原告及び住民の双方とも話合いの申入れを行なうことなく、結局右の第六回会合が双方の話合いの最後となつた。

(6)  なお、原告は、同年一月二四日ころ原告の第三次修正案に基づく設計変更届を被告の三好建築主事に対し提出した(この事実は当事者間に争いがない。)ので、三好建築主事(建築課長)は、右変更にかかる建築計画についての確認の審査事務をすすめ、同年二月五日にはこれにつき中野消防署長の同意(法九三条一項)も得たのであるが、同日以降なされた確認を求める原告の要請に対しては、近隣住民との合意がいまだ成立していないことを理由に、なお確認することを留保し、原告に対し、住民の了解を得るための話合いを行なうよう指示した。これに対し原告は、同年二月二七日、建築主事が確認を行なわないことは違法であるとして、その不作為の違法確認の訴(訴変更前の本訴)を提起するに至つた(この事実は本件記録上明らかである。)。

3  以上の認定事実によれば、被告は、原告の確認申請がなされた以降、当初は原告に対し近隣住民の合意を得るための話合いを促し、またその話合いの経過についての報告を求めることにより、さらに指導要綱を制定し実施したところからは、自ら原告と住民との話合いを主宰し、双方の意思を直接に確認してその交渉の斡旋にあたることにより、本件建物の建築計画をめぐる紛争を収拾し解決するための行政指導を行なつていたものということができ、その行政指導はただ漫然と行なわれていたのではなく状況に応じて真摯になされていたというべきであり、またその方法、態様も、紛争当事者の利害調整をはかりながら双方の合意に基づき快適な住環境を維持保全するという目的に照らしても、原告と住民との交渉の経緯からみても、一応は相当なものであつたと評することができるというべきである。

他方、原告も被告の行政指導に応じて、住民との話合いにおいて当初の建築計画を大幅に縮少するなどして誠実にこれに対処してきたものであつて、最終段階となつた第五回及び第六回会合においても、話合いの前提たる日影図の正確性に疑義があつたため結局建築計画それ自体については双方に合意が成立するに至らなかつたものの、以後も交渉を継続することが了解されており、しかも原告の第三次修正案は住民側の案である工藤試案とさほど大きく相違しているものではないから、この段階においては双方の合意が成立する目前にあり、以後の話合いによつて合意が成立し紛争が円満に解決する可能性は非常に大きなものとして十分期待できる状態にあつたものというべきである。

したがつて、前記一3及び4で説示したところに照らし、本件は、被告の行政指導が行なわれていた間は、建築確認の申請に対し確認することを留保するについて正当な事情があつた場合に該当するものと解せられ、そうとすれば被告の建築主事がその期間確認を留保したことは違法ではないといわなければならない。

もつとも、第六回会合が行なわれた昭和四八年一月二二日の後高度地区の指定がなされた同年四月一九日に至るまでの間は、原告と住民との話合いが行なわれなかつたことは前認定のとおりであるが、証人三好泰照の証言(第一回)によれば、被告としてはこの間行政指導を放棄していたのではなく、当事者の任意な話合いの続行を期待していたほか、申出があれば話合いの斡旋を積極的に行なう意図であつたこと、また従来の実績と経験から本件の紛争も双方の話合いにより近い将来に解決できるものと考えていたことが認められ、被告の担当職員が右のように判断したことは前認定の話合いの経緯に照らして相当であつたと解せられ、しかも被告の建築課長(建築主事)は、前認定のように第六回会合の後においても原告が確認を要請するために訪れた機会を利用して、原告に対し住民の了解を得るための話合いを指示しているのであるから、これらの事実を総合すれば、右の期間中も被告の行政指導はなお継続中であつたと解すべきといわなければならない。したがつて右期間中も、建築主事が確認を留保することについての正当な事情はなお存続していたというべきである。

四  原告は、本件建物の建築計画は、本件土地の利用形態として四囲の土地利用状況に照らして相当な規模のものであり、またこれにつき原告は近隣住民の合意を実質的に得ているものであつて、被告の建築主事がなんら障害がないのに確認しないのは、本件土地が近い将来高度地区に指定されることを見越したものであつて違法であると主張する。しかし、原告の右主張は、以下のとおり失当である。

1  証人内山啓次の証言により真正に成立したと認められる甲第一五号証と同証言によれば、本件土地の近隣には、原告の確認申請時以前から四階建以上の中高層建築が散在していた事実が認められる。しかし、当時の本件土地の近隣の状況等に照らして本件建物の規模等が相当であるか否かということは、日照阻害を理由とする近隣住民との紛争を解決するにあたつて当然考慮されるべき重要な一要素であるとしても、現に紛争が生じている以上は、一方当事者の要求があまりにも不当であるような特殊な場合を除き、この紛争を解決するための行政指導の必要性及び適法性と、これを理由とする建築主事が確認を留保することの適法性に関する前記一3及び4の説示には直接影響しないというべきである。本件において、住民側の要求が格別に不当であつたとまでは解せられないことは明らかであり、現に原告と住民との交渉が行なわれ、被告の行政指導も継続していたことは前記認定のとおりであり、原告主張のように仮に本件建物(とくに第三次修正案)が本件土地の利用形態として相当な規模であるとしても、その問題を含め本件建物の規模をどのようにするかという点について原告と住民の交渉がなされる以上、このことから被告の行政指導がただちに違法となり、あるいは建築主事が確認を留保することが当然違法となるとは解することができない。

2  また、本件建物の建築計画については、原告の第三次修正案と住民側の工藤試案とは大きな相違はなかつたものであるにせよ、第六回会合においても結局のところ原告と住民に建築計画についての最終的な合意が実質的にも成立していなかつたことは前記のとおりであつて、実質的には住民と合意に達していたとの原告の主張はなんら認められるところではない。もつとも前記認定によれば、原告はその第三次修正案について住民側の斉藤弁護士の了解をとりつけていたことが認められるけれども、証人東克己の証言によれば、同弁護士は住民が原告との交渉のために依頼した弁護士であるが、住民側としては話合いの際に住民の立場から意見を述べてもらうことを委ねたにとどまり、住民を代理して建築計画について承認するなどの事項について具体的な権限を授与したことはないことが認められる(原告もこの事情を知つていたからこそ、同弁護士との話合いの後も住民との会合に出席し、住民に対して直接に建築計画の承認を求めていたものと解せられる。)から、右の事実によつては、原告と住民に合意が成立したということはできない。さらに原告は、第五回及び第六回会合において、住民は原告の建築計画自体については反対しなかつたと主張するが、前記認定によれば、必ずしも右主張事実は認められないのみならず、右会合においては、主として日影図の正確性が問題にされたのであり、いわば建築計画の当否を論ずる前提問題について論議がなされていたのであるから、正確な日影図に基づいて、建築計画の具体的内容についての交渉が後日なされることを、当然に前提としていたものと解され、原告主張のように、原告と住民との間に合意が成立していたとみることはできない。

3  さらに、いずれも成立に争いのない甲第二七、二八号証、乙一四号証の一ないし四と証人三好泰照(第二回)、同阿部富士弥、同堀野栄一の各証言によれば、高度地区指定に関する被告の原案は、本件土地について、北側の一部分が第一種高度地区に、本件土地の主要部分であるその余の部分が第三種高度地区に指定する予定になつていたものであるところ、昭和四八年一月末ころ、右の第三種の部分を第二種に変更することを内容とする調整案が東京都から被告に対し示され、これに対し被告が同年二月中旬ころ都に提出した意見は、基本的には当初の被告の案が望ましいとしながらも、本件土地を含む部分については、他の一部の地区とは異なり、被告としても特に積極的には調整案に反対しない内容のものであつたことが認められ、この認定事実によれば被告(担当の建築課職員)としても近い将来本件土地の大部分が第二種(一部は第一種)高度地区に指定されることは予見することが十分可能であつたと解すべきであり、また、証人三好泰照の証言(第二回)によれば、被告の三好建築課長としては、本件土地が高度地区に指定される前から、本件建物が将来なされる高度地区の指定に合致することを望んでいたことが窺える。しかし、そうであるからといつて、原告の申請に対して、被告の建築主事が第六回会合(昭和四八年一月二二日)以降も確認を留保した理由は、前記認定のとおり、原告と住民の話合いがさらに継続され、紛争が円満に解決することを期待し、また申出により被告としてもその斡旋を行なう意図で行政指導を続けていたことに基づくものであつて、本件土地が将来高度地区に指定されることを理由とするものとは認められないことが明らかである。そして、原告と住民の話合いが続けられ、双方に合意が成立することを被告(担当職員)が期待したことは、前記のとおり本件における話合いの経緯に照らして相当かつ当然というべきであり、そうである以上は、三好建築課長が主観的に高度地区の指定に合致した建築計画を望んでいたとしても、以上の結論には影響しないものといわなければならない。

五  原告は、さらに本件においては被告の行政指導がそれ自体違法であると主張する。しかし、前記四の判示に加え、以下述べるとおり、右主張もまた失当といわざるをえない。

1  行政指導は、行政機関が、公の行政目的を達成するため、相手方の自発的な協力、同意に基づき一定の作為あるいは不作為を実行するよう働きかける事実行為であるが、これが右の要件を充たし、社会通念上相当な方法と態様により行なわれ、かつこれにより達成しようとする行政目的が全法秩序に照らし適法かつ相当なものと認められる限りにおいては、必ずしも明文の根拠規定が存しない場合であつてもこれを行なうことは許されるものと解すべきである。

もつとも、本件のように一方において建築確認という行政機関固有の権限を背景にして行なわれる行政指導は、ただちに右の要件のうち「相手方の自発的な協力、同意」という要件を充たさないとはいえないまでも、通常は相手方に対する事実上の強制的要素が客観的に存在すると解せられるから、このような行政指導が前記の要件等に照らして違法であつた場合には、国あるいは地方公共団体等は、行政指導が相手方に対する法的強制力ないしは拘束力がないことを理由に国家賠償法上の損害賠償責任を免れることはできないといわなければならない(なお、行政指導は、同法一条一項の「公権力の行使」に該当するものと解すべきである。)。

2  そこで本件における被告の行政指導の適否を前記三認定の経緯に照らして判断することとする。

(一)  まず、本件における被告の行政指導の目的が、原告と住民との話合いにより建築計画についての合意を成立させることにより、双方の利害を調整するとともに日照その他の住環境を快適に維持保全することにあることは明らかであるところ、右の目的が法の趣旨目的に沿うものであり、また社会通念からしても相当なものであることは、すでに判示したところから明白というべきである。そして、原告が被告の行政指導を了解しこれに任意に応じて住民との交渉に誠実に対処したことは前記認定のとおりであり、行政指導の方法、態様も原告と住民との話合いの経緯との対応において格別不相当とも認められず、むしろ当事者間に合意を成立させるため双方の自主的な話合いを促し、あるいはこれを斡旋した方法は、本件における行政指導としては適当なものであつたと解することができるのである。

したがつて、本件における被告の行政指導は、前記1の要件を充たしており、これを違法なものとすることはできないというべきである。

(二)  原告は、原告の第三次修正案は原告としては最終的な確定案であり、これをさらに変更するつもりはなく、第六回会合以降原告は被告の行政指導を拒否していたものであり、行政指導を継続することは無意味であつたと主張する。

しかし、前記認定事実によれば、結果的に最後の話合いとなつた第六回会合においては、なお正確な日影図に基づいて双方の話合いを継続することが予定されていたのであり、原告の主観的意図はともかく、さらに第三次修正案について住民からの具体的な要望が出され、これがなお部分的にせよ変更されることは当然に予想されたほか、話合いの結果により近い将来双方に合意が成立する可能性が当時としては大いに期待できたのであるから、右の時点以降の行政指導が無意味であつたということはできない。原告はこの間建築主事に対しすみやかに確認すべきことを求めているが、従来も原告は一方ですみやかな確認を求めながら他方では行政指導に応じて住民との話合いに誠実に対処していたものであるから、右の事実によつても原告が第六回会合以降の行政指導を一切拒否していたとまでは解することができない。

なお、原告が本訴を提起した昭和四八年二月二七日以降本件土地が高度地区に指定された同年四月一九日までの間、被告が原告に対し行政指導として具体的な働きかけを行なつたことを認めるに足る証拠はないが、前記三3の判示のとおり、この間も被告としては原告と住民の自主的な話合いによる円満な紛争解決を期待し、申出によりその斡旋を行なう意図でなお行政指導を継続していたものと評価すべきであり、被告の行政指導を必要とする状況も存続していたと解すべきであるから、いわば原告と住民双方の合意が成立する目前ともいうべき最終段階であるこの期間における被告の右のような消極的な態度は、結果において高度地区の指定により本件建物の建築が不能になるという原告に一方的に不利な結着を招いたという点において、いささか不親切、不適切の誹りを免れないとしても、これを格別に違法とまでは断ずることができない。

(三)  さらに原告は、建築主事には私人間の民事紛争に介入する権限はなく、また指導要綱は、本件に適用できないのみならず、行政指導は法的拘束力を有しないからこれを拒否していた原告になお行政指導を続けることは、一方的な犠牲を強いるものとして違法であると主張する。

もとより指導要綱は、条例、規則その他の正規の法規とは解せられず、関係者あるいは行政機関内部に対する行政上の指針を示したものにすぎず、これが法的強制力を有するものでないことは原告主張のとおりである。したがつて、指導要綱が本件における行政指導の法規上の根拠規定とはなりえないことは当然である。

しかし、行政指導それ自体は、明文の法規上の根拠を有しない場合であつても、一定の要件のもとに許され、本件における被告の行政指導が右要件を充たしたものであることはすでに前記1及び2(一)で説示したとおりである。そして、そうであるならば、建築主事が本件のような行政指導を行なうことは、明文の法規上の根拠規定が存しないとしても、法的、社会的にみてなんら不相当とも解せられない(むしろ法の趣旨からすれば、これを是認しているものと解される。)から、これが本件の行政指導を違法ならしめる理由にはならないといわなければならない(もつとも本件の行政指導の主体は、従前の行政指導の方針を明文化した指導要綱(前提乙第一号証の一)に規定されているように区長であると解すべきであり、実際にその任にあたつた被告の担当職員らはその補助機関としてこれを行なつたものと解するのが相当である。)。

また、指導要綱が右のような性質のものと解される以上、これが原告の確認申請の後において制定され実施されたものであるとしても、原告に対する行政指導が指導要綱に基づいて行なわれることは、なんら行政指導自体を違法とする理由とはなりえないといわなければならない。

さらに、原告が被告の行政指導を一切拒否していたとまでは解せられないことは前記(二)のとおりであり、また前記認定の諸事情を総合しても、本件における被告の行政指導が原告に対し一方的に犠牲を強いる内容のものであつたとは解せられない。

結局原告の主張は失当というほかない。

六  以上の次第であるから、原告が近隣住民との交渉において、誠実に対処してきたことは十分認められるところであるけれども、そうであるとしても被告の建築主事が原告の申請に対し確認を留保したこと、あるいは被告の行政指導それ自体をもつて違法であるということはできず、原告の主張は、結局すべて理由がないことに帰するものといわざるをえない。

よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 内藤正久 山下薫 三輪和雄)

別紙〈省略〉

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